November 6th, 2011

じゃあ、アメリカにはDQNネームはないのかよ?といえば、実はある。

大雑把に言えば、男の子の名前はあまりトレンドがなくて、マイケル、ジョン、ビル、ジム、ジョー、リチャード、スティーブ、ブライアン、エドワード、チャールズ、ジェイソン、ジェイコブ、ダニエル、アンソニー、ぐらいでほとんどの世代は埋まるだろ。

女の子の名前には、オーソドックスながら緩やかなトレンドがあって、ハリエットやジョアンナ、ヴァイオレット、イヴォンヌ、と聞けば「おばあさん」のイメージだし、私と同世代はジェニファー、キンバリー、リンダあたりがやたら多い。それがティファニーや、アシュリー、ブリッタニーと聞くと一回り下の女の子が浮かぶ。

今、子供に一風変わった名前を付けているのは、お茶会連中の若い世代、日本のヤンキーな親たちと全く同じだ。赤い州のトレーラーハウスに住んで、ウォルマートで買い物し、ジャンクフードをがばがば食べてぶくぶく太り、一日中リアリティー番組ばっかり見ていて、進化論を否定するような人たち。

さすがに日本と違って、漢字と読み方が全く一致しないという文字通りの「離れ」ワザは使えないので、発音だけ聞くとありがちな名前なのに、綴りが変わっている、というか、もしかして親がバカで正しい(一般的な)綴りがわからなかったんじゃないの?というような名前が主流。アシュリーだったら Ashleyと普通に綴らないでAshleeとか、Jordanだったらオーソドックスなんだけど、ひねってJaydenとか。その上、今まで聞いたこともないような名前も出てきた。ネヴェーアNeveahとか。これって「天国」を反対から綴ったものだとか。

アメリカンきらきらネームを探して少し歴史を遡ると、60年代に青春をヒッピーとして謳歌した世代は、子供にRainとか、Skyとか、自然にちなんだ名前をつけるのが流行った。これはネイティブ・インディアンにも通じるからかな。ちなみに有名人で言うと、リバー・フィニックスの親たちがそう。リバーが長男で、ホアキン、リバティー、サマーって兄弟になってたり。女優バーバラ・ハーシーの息子がフリー、なんてのは典型だね。

ハリウッドのセレブが率先して変わった名前を付けているという側面もある。グウィネス・パルトローのAppleちゃんとか、トム・クルーズのSuriちゃんとか、クリスティーナ・アギレラのマックス・リロンくんとか、ニコラス・ケージのKal-el(まんまスーパーマンだよw)、その手の話題が好きな人はこちらのリストをどうぞ。

ミスチルのTomorrow Never Knowsって歌いたくもなるぜ、な人生。関係ないけどこれはポップソングの歌詞にも現れていると思う。最近の若者が歌う歌には「夢」という言葉が頻繁に出てくるけど、それが具体的にどういう夢なのか、聴いていてもさっぱりわからない。とりあえず夢だけは捨てるな、みたいな歌が多くないか? それに比べると、昭和の夢は具体的だったよ。相手がまだ見つかる前から「♪もしも私が家を建てたなら」って、間取りや飼う犬まで決まっている夢なんだぜ。すげーだろ。
October 14th, 2011
都道府県民の信仰

なかなか面白い統計

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September 30th, 2011
516 名前: 1/2 Mail: sage 投稿日: 2010/08/27(金) 19:36:27 ID: 4KWOhtFe
では、私のカチムカ。

10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で
さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。知能レベルは年齢平均のため、
尚更何かと辛い思いをしてきている。
本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り
車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、
どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。
(ぶくぶく醜い、何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの、
 補助金で贅沢してるくせに、役に立たないのになんで生かしておくかなあ?)
それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。
それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが
実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に
今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。
あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら
笑いながら「何か?だってwwうけるww」
「うち娘だから、あんなのに目付けられたくないしい、
相手にしちゃ駄目よお~~~」
「アタマがないからレイプされても泣き寝入りだもんね~」
さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって
「えー、奥さん、ここで降りてください」


517 名前: 2/2 Mail: sage 投稿日: 2010/08/27(金) 19:37:33 ID: 4KWOhtFe
あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんかと思いながら
車いすを外そうとしたら、「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので
こちらで降りてください」
私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。
そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」
「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい」
との声が聞こえてきた。
さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら
「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。
そいつらが降りてからお礼を言ったら、「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから
気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃねえなと思ったよ。

ちなみに田舎ではないが、バスの数も少なくて一時間に2本ほど。
最寄り駅までは徒歩20分以上、タクシーなら通ってるから子供が熱中症になる前に
さっさと乗ればいいけどね。
August 7th, 2010
ちなみに、店員を人間扱いしない人たちで、いちばん多いのは、金持ってそうなおっさんです。あれはほんとひどい。次いで50歳とか60歳とかのじーさん。もうねー、仕事しててひしひしと感じるんですよね。「しょせんコンビニのバイト風情が」っていうの。店長でやってたって一緒です。完全に見下してるのよくわかる。
June 28th, 2010

で、結局何が言いたいのかっていうと、まぁ、どういう習慣があってもいいんだけど、いかにその習慣を破ってフレキシブルに動ける人たちがいるかで、 その社会の成熟度が測れるんじゃないかな、と思うわけだ。Civilizationという言葉があるが、どれだけ臨機応変に振る舞えるかってのは、基本的 ルールを踏まえた上で状況によって最善の判断ができる、あるいはそうしようと頭を使っている人たちがいる、それこそ「思いやり」が問われるってこと。

具体的に言えば、電車の席の色まで変えてシルバー席を作り、そこに優先的に座るべき人たちを懇切丁寧に説明したポスターがあるんじゃなくて、そんな ものはないけど、お年寄りや妊婦が乗ってきたら、一番近くに座っている人がスッと立ち上がるような社会だったらいいのにな。そして、席を譲られる方も、 ちゃんとスマートに座るか、にっこり大丈夫ですからと断れる人たちだったらいいのにな。

じゃないと、日本はどこにいっても、一応の決まりとか、暗黙のルールが多すぎて疲れるんだもん。その通りに動いてしまうのが一番頭を使わない方法 で、言葉を発することなく物事が運び、ラクちんなのはわかる。だけど、何も考えずに車も通らない道でおとなしく信号待ちしている人を見ると、やっぱなんか 変。そもそも信号って何のためにあるのかってことも意味を失っているように思えるんだな。

KY、というのがその究極の習慣だよね。何も言われなくても周りの迷惑にならないよう、一人だけ浮いたりしないよう、細かいところまで気を使うこと を要求される日本の社会。真綿より軽い「空気」で締められて窒息死しそう。もっと気を利かせて、声を掛け合って、臨機応変に対応できたら、もっと住みやす い場所になるんじゃないの?

そういう意味では、ニューヨークはかなり心地いい。色んな習慣の色んな国から人が集まっているので、誰もが知っている不文律というものが存在しな い。その分、誰もが自分の信条や良心に従って行動する。ベビーカーを押しているお母さんがいたら、パンツ見せてるヒップホップな兄ちゃんでもさりげなく階 段で手伝ってくれる。地下鉄のホームから酔っ払って転げ落ちたら、あのゴミだらけで高圧電流が走っているホームに赤の他人が降りてきて助けてもらえたりも する。私もなぜか、ニューヨークにいると、地図を見ながらあーだこーだとやりあっている観光客の人たちに声をかけてしまう。

もう1回しつこく言っておく。日本がレディーファーストなどを気にする必要はない。タダの習慣だから。だけどもう少し成熟した優しい社会になれたら いいな、とは思う。

June 17th, 2010
June 14th, 2010
thedailywhat:

Infographic of the Day: Suddenly, Monday isn’t looking all that bad.
[deviantart.]

thedailywhat:

Infographic of the Day: Suddenly, Monday isn’t looking all that bad.

[deviantart.]

April 19th, 2010

想像してみてほしい——あなたは、日本で生まれ育った18歳のフランス人。東京・飯田橋にあるフランス人高校を卒業したばかりで、将来のことを 真剣に考えている(フリをしている)。自分の生きる道は、どちらの国にあるのか。フランスに渡る? それとも日本に残る? あなたが新聞を毎日読んでいる なら、答えは自明だろう。もちろんフランスだ。

 フランスは「joie de vivre(人生を楽しむ)」国だ。国際的で、若々しくて、開放的。世界1の美女に世界1のファッションブランド、世界1の景色とワインがそろっている。

 一方で、日本は「未来が約束された国」の座から転げ落ちてしまった。高齢化と景気低迷がものすごいスピードで進み、世界での存在感はすっかり失わ れている。

 日本にとって、世界はどうでもいいらしい。政治もメディアも自己中心的で、NHKの7時のニュースは国内ニュースばかり。「グローバル企業」にし ても、組織の体質は正反対だ。英語を積極的に活用するような機運もほとんどない(TOEFLのスコアでみると、日本人のスピーキング力は鎖国同然の北朝鮮 にも及ばない)。

 だが、こうしたマイナス面があるにも関わらず、18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フラ ンスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

 日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスの こうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

 将来を考えても、多くの点で日本のほうが明るく見える。日本人は、今や長年務めた会社にさえ首を切られかねないと嘆くかもしれない。だがフランス では、中学や高校、大学を卒業しても仕事がない。この年齢層の失業率は15〜20%に上る。30代になるまで働かないという学生が大勢いる。

 それにフランスの給料は安いし(企業が儲けているのは確かだが、給料は安い)、同じカネを出して買えるものは一般的に日本よりも少ない。

 日本では、例えば川崎の安アパートでさえ、少なくとも清潔で安全だ。パリ郊外のアルジャントゥイユは違う。日本では700円で満足な食事ができ る。フランスは違う。日本では6歳の子供が1人で通学できる。フランスは違う。違うのだ。

■外国はバラ色ではなく「ジャングル」だ

 それでも人々は外国に対し、現実とは異なるイメージを抱いているもの。日本人はフランスについて、見当違いな憧れを抱いている。

 先日、パリ出身のかわいい女友達シルビーとコーヒーを飲んでいた時のこと。シルビーが、「パリジェンヌ気分を味わおう」というファッションビルの 巨大広告を見て笑い始めた。

「パリ気分を味わいたいって? そんなの簡単よ。教えてあげる。身ぎれいにするのをやめればいい。ホントのこと言うと、日本人の女の子の隣にいると 自分が汚く思えてくる。彼女たちって何度も何度も化粧を直すし、髪型だって最高。どんなパリジェンヌよりも女らしい。私のフランス人の彼氏は、日本人の女 の子たちに追い掛け回されてる。私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」

 日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。

 だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、 日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

 外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学 ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。

December 2nd, 2009
現代は、人がおとなになるのに時間がかかる時代である。極端に言えば、企業に入ってから思春期が始まるという見方もできる。その大きな要因としては、小学校高学年くらいの、いわゆるギャングエイジと呼ばれる時期に、自分と近い世代の子供たちと群れをなして行動する中で学ぶ、通過儀礼とも言えるさまざまな体験を持ちえていないことが指摘できる。かつては、親に守られた世界を脱して子供の世界を形成し、子供同士が集まって遊ぶ中で、人とのかかわり方や集団の中で我慢をすることを体験的に学んでいた。ギャングエイジにおける集団体験は、人が社会的な技能(ソーシャルスキル)を発達させる場として機能していたのである。現在、社会からそうした土壌が失われている。また、ギャングエイジを過ぎ、高校生や大学生になっても、集団のなかで、もまれることがないまま、社会に出ていく若者も多い。